早大生の最混雑地帯・東京メトロ東西線10号車

 

東西線の10号車とは一体どんな魔力を秘めているのだろうか。少し歩けば6・7号車で悠々自適とは言わないまでも快適な空間で過ごすことができるのに、なぜか早大生はこぞって通勤ラッシュより酷い混雑率の10号車へと吸い込まれていくのである。この怪奇現象は高田馬場駅と早稲田駅の出入口に最も近いのが10号車という理由だけでは到底説明できないであろう。(1号車の方にも出入口はあるだって? 君はそこを通学のときに使ったことはあるのかな?)

 

早大生はなぜ東西線で10号車に乗るのだろうか。まずは大学から帰る場合、早稲田から高田馬場に移動するときを考えてみよう。

 

 

 

帰りの10号車は地獄の釜である。ありとあらゆる早大生が意味もなく押し込められる魔の空間だ。何か明確な意図を持ってこの空間にいる人間がいたら話を聞いてみたいくらいである。

 

確かに高田馬場、早稲田の両駅で最も出入口に近い号車に乗れば移動時間の節約になるだろう。しかし、少なくとも目の前で電車が発車しようとしていて、電車に駆け込まないと間に合わないという訳でも無ければ節約できる時間は精々数十秒。高田馬場―早稲田間の長い訳では決してないが、その割には微妙に長い3分間をすし詰めの車内で過ごすことを代償として捧げることを考えれば割に合わないと思う(火急の用でもあれば話は別だが)のだが、どうやらそうは思わない早大生の方が多数派らしい。友人と一緒に帰りの東西線に乗ろうと改札に入った途端、動かざること山の如しと言わんばかりに10号車の列に鎮座する友人を何度見かけただろうか。頼むから少し右方向へ動いていただきたい。

「7号車の辺りまでわざわざ行くのも面倒だし、10号車でいい」と語る早大生も星の数ほど存在する。いくらなんでも満員電車への耐性が強すぎないだろうか。

 

さて、帰りの10号車がいかに無為な空間か、早稲田から帰るときにわざわざ10号車に乗ることがいかに無益な行為かを力説したが、大学に行くとき、高田馬場から早稲田へ向かう場合は果たしてどうなのだろうか。

 

帰りと打って変わって行きの10号車は戦場である。帰りで10号車に乗るような怠惰な人間は階段の目の前の9号車にあらかた飲み込まれる。

早稲田駅で下車してから大学に着くまでには長蛇の列ができる。一刻も早く大学に向かいたい早大生にとってはあまりにも致命的なこの行列に巻き込まれない方法は10号車に乗り、早大生の波にのまれる前に駅から脱出する他ない。帰りとの大きな違いである。

 

もっとも10号車に乗るだけでは混雑を回避できる可能性は五分五分である。特に遅刻ギリギリ、走らないと間に合わない時間であれば最も出入口に近い4番ドアに張り付く以外の選択肢はまずないだろう。うっかり行列に巻き込まれたが最後、陸上部に匹敵するその健脚を活かして教室に滑り込むことはほぼ不可能になるからだ。(諦めて遅刻する? 単位を落としたいのかな?)

 

ここで問題となるのが高田馬場も早稲田もドアが開く向きは進行方向左側で同じということ。乗車位置に並ぶ場合は、奥の空いている空間の確保や着席のために最前を狙うのが一般的だが、早稲田で最速で降車することを目指すなら最後尾を確保しなくてはいけない。最後尾に行くなら簡単だと思ったそこのあなたは早まって電車に乗ってしまい、2人分ほど車内に押し込まれているはずだ。ならばと乗車のタイミングを遅れさせると、うっかり発車を見送る羽目になる辺りがタチが悪い。幅広ドアの車両が来れば多少は気が楽になるのだが。

 

そうしてちょっとした苦難を乗り越えた早大生は早稲田駅に到着し、そのドアが開いた刹那、大学に向かって駆け出すのである。出席点を手に入れようとする者、遅刻を免れ命を繋ごうとする者など彼らの目的は様々だ。決して模範的な姿ではないが、それでも最後まで希望を捨てずに全力を尽くす姿は正に早稲田大学の創設者、大隈重信が掲げた「在野精神」の表れと言えよう。

 

 

 

 

東西線の10号車、連日早大生で足の踏み場もないほどに埋め尽くされる空間である。しかしその姿は行きと帰りで天と地ほどの差がある。そのことを知ったからといって大学生活が有意義になるとは思わないが、早大生とは切っても切れない関係の東西線、どうせなら骨の髄まで味わい尽くすのもまた一興ではないだろうか。