マイル野球部②「球跡」

 

 週末の夕方、汚れたユニフォーム姿で自転車をこぐ少年たちを見かける。彼らは頭にぶかぶかのヘルメットをかぶり、背中にバットを背負っている。

その姿を見るといつも、強烈に羨ましいと感じてしまう。

 

そして僕が彼らのような野球少年だった頃を思い出す――。

 

 

 

マイル野球部第2回を担当すると聞いて何を書こうか迷ってしまった。

 

12月は野球好きにとって閑散期だ。プロ野球シーズンでもなければ、WBCやセンバツにもまだ早い。白状すれば僕だって昨日までW杯に夢中だったし。

ワイドショーは村神様なんて言葉もうとっくに忘れてる。特に話題らしい話題もないよな。

 

だから今日は僕の話をゆっくりしようかと思う。僕がなぜ、野球が好きなのか。

 

 

夕方にやっていた野球アニメがきっかけで僕は野球を知った。3才か、4才の頃だったと思う。

その頃はよく家でペットボトルをバットにして振り回していた。

そして小学生になると友達と一緒に公園や河川敷で「野球っぽい」遊びをするようになった。

 

18人なんて集まらなかったから1チーム3~4人で守備はピッチャーとあとはショートらへんとファーストらへんに1人ずつ。

余裕があれば外野にもう1人。ベースは誰かの荷物かそれっぽい石。

 

めちゃくちゃな走塁も何でもありで飼い犬に守備をやらせていたこともあった。

 

 

野球っぽいけど野球ではない遊び。

 

 

誰かの家に文字通りの場外ホームランが入れば全員で一斉に逃げた後、じゃんけんで負けた奴が取りに行く。試合が終われば両チーム一緒に米屋でかき氷を食うか、駄菓子屋に行くか。

 

適当だけど楽しい「野球ごっこ」

 

そんな遊びが楽しくて、僕は小5の時に地元の少年野球チームに入った。

そしてここから、「野球」にもはまっていく。

 

 

野球を本格的にはじめた一方、肝心のプレーは、僕は基本的に下手だった。

 

試合はたまにあるBチームの試合か、Aチームの試合で出たとしてもコールド寸前の試合でのお情け代打か守備固めならぬ「守備緩め」で出る程度だった。それ以外はコーチャーでリーリーと虫みたいに鳴いたり、ベンチで声を出しているぐらいなものだった。

 

もっと家で素振りをすれば良かったななんて今はちょっぴり後悔している。

 

そんな感じで選手としてはぱっとしないまま小学校を卒業したが、自然と野球を辞めるという考えにはならなかった。

 

やはり野球をやっているときが一番楽しかった。そして僕の野球人生のハイライト、中学野球に進んでいく。

 

 

結局、中学でも休日は隣町のクラブチームで、平日は学校の野球部で野球漬けの日々を送ることになった。

今思えば中学時代が一番野球に熱中していただろうか。週5でよくやっていたものだと思う。

 

しかし、この中学がまた変な環境で野球をやっていた。クラブチームは都大会にも出れるようなそこそこのチームでやっていたが、中学の部活はなんと僕の代からの新設だった。新設で1年からしか入れないので経験者なんて数えるほどしかいない。

 

男子8人で女子4人で半分以上は初心者、顧問も特に野球経験のないただの巨人ファンのオヤジといったようなひどいチームだった。

 

紅白戦は人数が足りなくて、三角ベース

 

河川敷でやってて冬は暗くなるから30分くらいしかまともに練習できない。

最初の試合なんてラグビーのスコアみたいな試合でぼろ負けしていた。ファウルフライを追ってどぶに落ちたり、試合にベルトを忘れたり、背番号の位置が異様に低かったり、本当にグダグダなチームであったと思う。

 

 

でも、みんな野球が好きだった。

 

 

みんなして懲りずに陽が落ちるまで毎日やり続けた。

 

 

結局1試合くらいしかまともには勝てなかったが、今でも飲み屋の定番のつまみになるくらいの話にはなっている。

 

 

 

ところで、マイナー中のマイナー、プロなんて無謀な下町リーガーだった僕の野球人生ではあるが今もまだ忘れられないシーンがある。

 

中学の時、練習試合で東京選抜に選ばれた好投手擁するチームと対戦する機会があった。クラブでは雑用を真面目にこなしていたのが功を奏したか僕は代打に呼ばれる。ツーアウトながら、ランナーは1,2塁のチャンス。

しかし、全く東京選抜の彼を打ち崩すことはできていない。球なんて鬼のように速く、ノビがあってうねりをあげていた。

 

それに対するはお情け代打の僕。

 

 

圧倒的に不利な局面である。その速さにビビり、高めのクソボールに手を出し、あっという間に追い込まれた。

 

しかし3球目、球の軌道がゆっくりと真ん中に入っていくのが見えた。

 

 

ボールをバットに乗せるようにはじき返した打球はセンター前へのタイムリー。

 

 

沸きあがるベンチ。

 

 

あの時チームは完全にひとつになっていた。

 

 

その背中に受ける声援は一生忘れられない。

試合には結局負けてしまったがコーチ陣に卒業までいじられる、炎のタイムリーヒットとなった。思い返せば僕はあの時完全にゾーンに入っていたのだろう。

 

 

今ではもうあの時以上の鋭い打球は飛ばせる気がしない。

 

そんなこんなで下手くそなりに結局高校まで野球を続けた僕は大学でも野球サークルに入ったものの、結局辞めてしまった。

 

サークルの野球に学生時代の情熱を見出せなかったのかもしれない。キツい練習メニューを共にこなしていくことでしか得られない信頼みたいなもの、うまく言えないが連帯感のような何かがあったのだろう。

 

ベンチも試合に出ている選手も全員で一つのボールに声を張り上げる。

例えば控えの選手がヒットを打ったりでもしたらベンチは一層盛り上がるし、ファインプレーでピンチを切り抜けたら全員でそいつを称える。

 

練習を共にし、同じベンチに入った人しか共有できない何かがそこにはあった。

 

 

 

だから今でも夕方の野球少年の背中に嫉妬してしまう。

だから僕は野球が好きなんだ。