おすおす、ライターのミヨンリヒや。(※100ハイを取りまとめる早稲田精神昂揚会の挨拶のオマージュ)
この体験記は、2024年5月25~26日に開催された第61回本庄早稲田100kmハイク(通称100ハイ)に参加した筆者が、その道中を振り返ったものだ。馬場歩きより長い距離を歩くことなどめったにない筆者にとって、決して楽な道のりではなかった。
~前日章~
4月某日、知人に誘われ100ハイ参加を決意。大学卒業までに参加してみたいと思っていただけに、心は弾んでいた。
しかし、その1週間後からはじわじわと恐怖にかられるようになる。あまりにも過酷なイベントであることに気づき始めたのだ。後悔先立たず。マイルストーンの新歓ラウンジにて、同期に不安な心境を吐露する日々が続いた。
~1日目(5/25)~
〈1日目の始まり〉
いよいよ迎えた当日。本庄早稲田駅から徒歩10分の集合場所に着いたのは朝7時半ごろ。受付時間が7時~8時と決まっており、始まる前から既にハードである。始発では間に合わない人もいるようで、前泊組も見受けられた。そして8時半になると開会式が始まった。本庄市市長らの激励を受けたり、ゼッケンネーム大賞の発表があったりと、賑やかな始まりだった。
さて、いよいよスタート位置に着き横に目をやると、見覚えのある動画のパロディ仮装が目に入った。私のツボにどストライクだったため、勇気を出して写真撮影を依頼した。実は100ハイは仮装が恒例で、第1区は仮装して歩く人の方が多いのだ。
右2人は踊り侍の方。10人ほどの人数で『【変な家】察しの悪い雨穴』の間取りを再現していた。
なお1番左は筆者。
撮影と掲載を快く引き受けてくださった踊り侍の皆様、ありがとうございます。仮装のセンス、最高です。
〈第1区 お散歩〉
そんなこんなでゆるやかに100ハイがスタート。9時半を過ぎたころだったように記憶している。スタートダッシュを決める先頭(戦闘?)集団も存在したが、私は体力温存を優先することにした。
……
時刻は11時22分。歩き出してから約2時間。喋りながら楽しく歩いていたが、右膝裏に軽い痛みを覚えた。普段は30分も歩かないのだから、自然なことかもしれない。まだ苦痛といえるほどの痛みはない。
……
12時前ごろ。最初の休憩所に到着。飲み物を受け取り、地面に座ろうとした瞬間だった。膝裏にはっきりとした違和感を感じたのだ。さらに左足の中指にも痛みがある。まだまだ道は長い。この先を案じると不安や危機感が湧き上がる。周りを見渡せど、ガタがきている人間など自分以外に見当たらない。ひょっとして自分はこの100ハイ集団の中で最も運動不足なのかもしれない。ショックだった。
ところで、ここの休憩所では仮装大賞の発表があった。先ほど紹介させていただいた踊り侍さんが集団仮装大賞を受賞していた。おめでとうございます!
〈第2区 ハイキング〉
休憩所を出ることは、次の区間に入ることを意味する。第2区に入った矢先、同行者に「あなたはリタイアすると思う」といった趣旨の発言をされる。なんなら50%の確率で寝坊して不参加だと思っていたとも言われる。自分は負けず嫌いな節があり、ここで目の色が変わった。それまでもリタイアするつもりはなかったが、本当にリタイアするわけにはいかなくなった。
……
12時50分。徐々に集団内で差がついてきた。ゆったり歩いていたら、気づいたらおそらく最後尾になっていた。背後には運営陣営が迫る。運営陣営には「ケツ持ち」と呼ばれるスタッフがおり、参加者に最低限のペースを守らせるために参加者の後ろをついて歩くのだ。ケツ持ちより遅れたら脱落だという噂を聞いたため、少し焦った。
ちなみに、ご飯は各自のタイミングでコンビニで買って食べるスタイルである。
……
14時を回った頃だろうか。トンネルにさしかかった。『紺碧の空』を歌う声がトンネルをこだます。
……
15時48分。左足の小指、右の膝裏、足の裏がずっと痛い。1度は最後尾を脱出したものの、再び最後尾になっていた。体力面でもしんどさが出てきた。おそらく30キロほどは歩いただろう。100ハイの真骨頂とも言うべき辛さが、その片鱗をのぞかせ始めた。
歩き疲れたなら走れ。この言葉を100ハイ中に幾度か目にしたのだが、これは真である。歩くときに使う筋肉と走るときに使う筋肉は異なるからなのか。走ると痛みより心地良さを感じるから不思議だ。脳内では『Cry Baby/Official髭男dism』が流れる。
……
17時前。膝の裏だけでなく爪先も痛い。しかし足の裏の痛みには慣れ、痛みが引いた。第2区も残り1.3キロと佳境に入った。疲れやしんどさのあまり私の口数は減っている。少し先を行く団体も、みんな黙って黙々と歩いている。そしてたまに思い出したように「ファイト!」と声をかけ合っている。100ハイは団体戦なのかもしれない。
……
17時22分。第2区休憩所へ到着。足が痛すぎるため、最後は足を引きずりながら滑り込んだ。今度の休憩所は体育館であったため、足を伸ばしたりとリラックスできた。歩いている最中は散り散りになっていた参加者達が再集合し、体育館は賑わいを見せていた。久しぶりに純粋に楽しい気分になれた。
〈第3区 試練〉
休憩所を出ると、1日目の最終区間である第3区に突入した。18時を過ぎた頃、ふと横を見ると綺麗な夕日がこちらを見ていた。先を歩く同行者の背中は、輝く夕日に照らされ赤く揺れている。この時間は100ハイの中でも印象的だった。
……
18時32分。いよいよ心が負け始めた。気力がなくなってきている。
事前に去年の参加者から「1区は楽、2区は思ったより楽、3区はカス、4区は散歩、5区は長い、6区は結構辛い」との情報を仕入れていたのだが、本当に3区はひどいありさまだった。これまで生きてきた中で1番辛かった。その始まりが、このタイミングだったように思う。このときは、あと3時間歩けば今日は終わりだと思って自分を慰めていたが、それが大きな誤算だった。
……
18時44分。空は暗く足取りは重いが、ここで良い出来事があった。神輿集団の掛け声が聞こえてきたのだ。神輿集団の正体は男祭り2024運営の方々。「わっしょい!わっしょい!」と自分も口ずさんでみると、力がみなぎってきた。「わっしょい」という日本語にこんな力があったとは驚きだ。
ここから幾度か神輿集団に遭遇するのだが、私が本当に辛いときに現れるので、どれだけ助けられたかわからない。
……
20時20分。限界だった。だから同行者と歌うことにした。セットリストは①Happy happy happy♪でお馴染みの猫ミームの音源 ②チェリー/スピッツ ③もう恋なんてしない/槇原敬之 ④睡蓮花/湘南乃風だったと思う。
特に睡蓮花のサビを歌いながら首にかけていたタオルを振り回すと、カラオケさながらの楽しさがほとばしった。限界突破だった。
ここら辺でコンビニに立ち寄ったが、あまりの疲労や痛みで足が全く動かなくなった。もう1歩も動けないような状態で気合いだけで歩いていたことに気づかされた。
マイルストーン編集会の同期達の顔が脳裏にチラつく。時を同じくして、高田馬場の一角で彼らは同期会を楽しんでいることだろう。東京にいる同期の存在が、心の灯火のように感じられた。こんなところでへばりそうになっている私を笑い飛ばしてほしいと切実に願った。
……
21時頃だっただろうか。同行者に、給水が唯一の娯楽であり気休めだと語ると、水が全ての根源なのだとタレスの思想を仄めかされた。やっぱり水がアルケーなのかと口にしたところで、ふと口をつぐんでしまった。歩きすぎて限界突破していた当時の私にとって、歩けと言われることは何よりも辛かったのだ。本当にくだらない駄洒落なのだが、アルケーという言葉にやるせなさを覚えた。
そしてまた歩くこと数分。今度は元素記号の話になった。「すいへいりーべーぼくのふね なまがりしっぷすからあるくか」という元素記号の語呂合わせを口に出して、またもや私は愕然としてしまった。最後に「歩くか」という言葉があるからだ。こちとら既に必死に歩いてるというのに。余裕がなすぎて泣きそうになった。半狂乱状態に陥っていたのだろう。
……
歩けど歩けど宿泊先は見えてこない。限界を迎えたまま数時間歩き続けている。今度は本当に涙が溢れてきた。人前で泣くなんて数年ぶりだったが、辛すぎて堪えきれなかった。不思議なことに、泣きながら歩いた数分間は辛さを感じなかった。泣くという行為は防衛本能なのかもしれない。
……
22時40分頃。マイルストーン編集会の同期と通話した。彼らの朗らかな笑い声が私を笑顔に変えた。ありがとう、同期達。
……
ここで私はゾーンに入った。どこにそんな力が眠っていたのかわからないが、全力疾走が可能になった。少しでも宿泊先に近づこうと、参加者をごぼう抜きにしていった。追い越すときは笑顔で挨拶をすることも忘れなかった。夜になってからは特に、参加者を追い越すときは挨拶をする文化ができていた。連帯感を感じることができて元気も出るので、私はこの文化がなかなか好きだった。
……
1度訪れたゾーンもやがて終わり力尽きる頃、別枠で参加していた兼サー先の先輩が背中を物理的に押してくれた。痛む足で地面を1歩1歩踏みしめ、先輩と共に坂道を上った。
〈1日目の終わり〉
23時30分、ようやく宿泊先にたどり着いた。こんなに夜遅くになるとは思わなかった。胸を占めたのは、嬉しいとかいう感情ではなく、虚無感と少しの安堵だった。今日はもう歩かなくて良いという事実はマイナスではないだけで、プラスでもなかった。
体育館内に入ると、野戦病院さながらの光景が広がっていた。満身創痍で座りこんでいる参加者達は、手当てを待つ負傷者に見えた。自分も体育館の床に腰を下ろしたが、座っていても楽ではない。若干の吐き気もある。負傷者となんら変わらないような状態ではあったが、リタイアしないで済んだだけまだ軽症といえるだろう。当時は知らなかったが、1日目にリタイアした人もそれなりにいたらしい。私はなんとか人生で1番辛い夜を乗り越えることができた。
この時間はシャワールームの利用可能時間をとうに過ぎていたので、着替えとボディシートを持ってお手洗いに向かった。並んで待っている間、壁に体重を預けないと立つことすらままならない状況だった。周りの人が自立して立っていられることのほうが驚きだった。なぜかみんな顔に生気がある。かたや私は同行者に顔が死んでいると言われる始末である。
翌日の準備をしているうちに0時半を迎え、消灯された。翌朝の5時起床に備えて眠ろうとするも眠れず。体のしんどさのせいで眠気がこない。2時か3時頃までは一睡もできなかったが、体勢を仰向けから横向きに変えてみたところ効果があった。途切れ途切れの浅い眠りに身を任せ、朝を迎えた。
~2日目~
〈第4区 ウォーミングアップ〉
無情にも5時になり、体を起こした。昨夜はあまり寝られなかった者も多いようだ。
起床後即ウォーキング開始である。休憩所の所沢キャンパスまではそう遠くない。朝の散歩気分で道を進む。
……
第4区の休憩所である早稲田大学所沢キャンパスに到着した。ここでは所沢体育祭が催される。余力のある猛者がそのパワーをぶつけるための場だ。うさぎ跳び勝ち残り戦など、過酷な競技もある。私はもちろん観客席から見守った。
また、私が初めてマメを処置したのがここだった。マメができたら消毒した安全ピンで潰さないと痛みで歩けなくなるのだ。潰す過程は痛くないのでご安心を。
〈第5区 長丁場〉
午前中は同じような山道が続き、景色に飽きてしまった。コンビニや自販機があればご褒美を買って気を紛らわせることができるのだが、それが叶わないのも難点だ。
……
時刻は12時半頃。コンビニにさしかかったとき、足にテーピングをした。すると信じられないくらい足の裏が楽になり、回復したのだ。
遂に東京に入り、見慣れた街並みに心が弾む。歩くのが心底楽しく、幸福感すら感じた。いくらでも歩けそうだったし、スキップをしたい気分だった。
……
13時半頃。足裏の痛みが戻ってきた。体調も少し悪く、立っても座っても辛い。体調に関しては炭酸飲料をがぶ飲みしたことも原因かもしれない。
……
14時頃だろうか。何をしているのかと通行人に尋ねられた。もっとも、通行人に声をかけられ応援されることはそれまでの道中でも幾度かあった。中でも特に印象深かったのが、その方だった。道の端でへばっている私をしきりに励ましてくださっただけでなく、自販機でキンキンに冷えた水を買って手渡してくださった。水はとてもおいしかったし、何より優しさが心に沁みた。応援に応えるためにも絶対にゴールにたどり着こうと決意を新たにした。
……
15時35分。第5区休憩所である早稲田大学高等学院・中等部に到着。やっと着いたと安堵したが、この学校は敷地が広く、門から体育館までそれなりの距離がある。1メートルも歩きたくないくらいの疲労を抱えて歩いたあの道のりは、恨めしいくらい長かった。体育館で座り込むと、またしても若干の吐き気を覚えた。
ここから早稲田大学まであと12キロという情報を耳にした。あと20キロだと思っていたので、だいぶ心が軽くなった。ここまで既に100キロ以上歩いている身からすると、12キロはなんてことのない距離に思える。
〈第6区 最後の行進〉
疲れからか、あまりメモも記憶も残っていないため、ダイジェスト版でお届けする。
16時20分 休憩所を出る。
18時 マイルの同期達と通話する。
18時40分 高田馬場にある富士大学の横を通る。
18時52分 高田馬場駅が見えた。歓声があがる。
馬場歩きが苦しい。いつもより長く感じる。笑顔にはなれない。
南門通りの途中から全力でダッシュした。
19時19分 ゴール。
とうとうやり切った。閉会式にも間に合った。喜びを噛みしめる。もう歩かなくて良いことが何より嬉しかった。
宛名つきの賞状を受け取り、閉会式が行われる11号館の大教室へ入る。無事に完歩した友人や先輩方を見つけては写真を撮った。お互いを称え、喜びを分かち合う。
閉会式でみんなで歌った校歌は感動ものだった。こみ上げる何かがあった。これが「早稲田精神」なのだろうか。
……
こうして100ハイは幕を閉じた。
この100ハイを運営してくださった皆様、そして応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
~後日章~
1週間ほど足の痛みがとれなかった。125キロを175860歩で歩いた結果だ。直後の3日間は足を引きずりながらカタツムリのようなスピードで通学した。いつもの道も倍の時間がかかる。
ちなみに100ハイ翌日の1限に向かう道は幻の第7区と呼ばれる。同行者はこの第7区を完歩し、第7区が1番きつかったと語っていた。
この100ハイに参加したことで、自分の根性に自信がついた。何があっても100ハイよりは辛くないと思える。参加したことで得られた経験は何にも代えがたいものだ。
とはいえ、100ハイ参加を推奨するつもりはない。本当に辛いので、軽くオススメすることはできない。しかし、この記事を読んでなお100ハイに心惹かれる人は参加してみてはいかがだろうか。
〈参加する人へのアドバイス〉
〜足元編〜
5本指ソックスを2枚重ねにした上で、靴下の上から石鹸を塗りたくるとマメができにくいらしい。なお、靴は少し大きめで履き慣れたものをオススメする。少し大きめの靴でないと、靴下2枚重ねは窮屈すぎる。
〜信号ダッシュ〜
信号が見えたらダッシュするようにすると、赤信号で止まらずに済むうえに、時間を巻ける。また、適度に走るとしんどさが緩和される。
〜疲れたら〜
音楽を聴く、歌う、人と話す、電話するなどが効果的。
〜役立つもの〜
テーピングとコールドスプレーで足を労ろう。歯ブラシも忘れないように。