マイル野球部④「憧れをやめられなかった大人たち」

鳴くセミも黙るほどの昨今の猛暑ではありますが、元々日米のオールスターに甲子園と、野球好きにとってっていうのはたまらなく燃え上がるような季節でございます。

 

7月も私の住む東東京では甲子園の予選が行われていまして。関東一高や二松学舎、帝京といった有力校が次々と姿を消す大波乱の中、共栄学園が初の甲子園行きを掴み取るなど熱戦が繰り広げられました。

 

ところでみなさん、甲子園予選の熱闘の裏でもう一つ熱い戦いが行われてたのはご存知でしょうか。

 

そうです、都市対抗野球です。

 

といっても多くの人は名前ぐらいしか聞いたことがないでしょう。

 

都市対抗野球とは各都市の社会人チームによって行われる全国大会。

各地方の予選を勝ち抜いた32チームが会社を、街を背負って7月の東京ドームでぶつかります。

 

その歴史はプロ野球より古く、第一回は1927年。100回近い歴史の中で、のちにプロの舞台で活躍する名選手もこの大会で活躍し、夢への階段を上っていきました。

 

都市対抗という名の通り各チームはそれぞれの都市、地方を代表して戦うのですがそれ故にこの大会には特徴的なルールがあります。

 

それは補強選手制度

 

予選で敗退した同じ地区のチームから選手を3人まで助っ人として呼べるのです。同じ地区でしのぎを削ったライバルとの共闘とは少年漫画さながらのアツい展開ですね!

過去にはこの補強選手で中軸を固めて優勝したチームもあり、この補強選手の使い方も見どころの一つです。

 

そして今年も王者だけが手にできる黒獅子旗の栄冠を目指して東京ドームで熱戦が繰り広げられました。

 

今年のドラフトの目玉、度会隆輝選手擁する前回優勝のENEOS(横浜市)、鉄壁の投手陣で激戦区の第1代表を勝ち取った明治安田生命(東京都)など多くの注目チームを次々になぎ倒し、今回の台風の目となったのは東海地区。

 

ベスト8の内、なんと5チームを東海地区のチームが占めました。

 

その中で目を見張る活躍を見せたのは東海理化(豊川市)

東海地区6枠のうち第6代表とぎりぎりで本大会への切符をつかむと、12年ぶりの出場ながら初戦で悲願の勝利。

 

勢いそのままにベスト8まで進み今大会の台風の目となり、チームとして優秀賞である小野賞を受賞。さらに2名の選手が新人賞である若獅子賞を獲得するなど大きな爪痕を残しました。

 

 

そんな東海まみれの大会を締めくくる決勝もやはり東海対決。

 

今年のWBCでも活躍した源田壮亮選手、栗林良吏選手、ID野球の申し子古田敦也氏など多くの選手を輩出してきた社会人野球界の雄、トヨタ自動車(豊田市)とこちらもヤクルトのブルペンを長年支える石山泰稚選手などが所属した古豪、ヤマハ(浜松市)。

 

もはや東京ドームじゃなくてナゴヤドームでやればいいのではとすら思うカード。

 

しかし、この2チームには因縁がありまして。

 

なんと今年、東海予選第1代表決定戦で対戦しているのです。その際はトヨタ自動車がヤマハを下し、昨秋の日本選手権からの全国大会連覇への第一歩を踏み出しました。

その後第2代表で出場を決めた予選の借りをヤマハが返すのか、トヨタが王道を敷くのか、注目のカードを観戦しました。

 

 

都市対抗の魅力は会社をあげての応援。

 

応援席に座ると会社から応援グッズのプレゼントがあることも。トヨタの応援席はチケットを無料配布したうえにTシャツと応援用の風船までついてきて何とも太っ腹。

 

さすが世界のトヨタ。内野の一角には応援ブースが設けられ各チームの応援団が試合前から印象的なパフォーマンスで盛り上げます。

 

 

始球式は元ヤクルトの名手、宮本慎也氏。

プロ入り前にプリンスホテルで都市対抗の舞台に立っていました。

 

遂にプレイボール。

 

1塁側のトヨタの応援席の赤色と3塁側ヤマハの紫色がぶつかり合います。後攻のヤマハがまず守備に就きます。

そのなかで阪神の佐藤輝明選手を彷彿とさせる鍛えられた肉体の選手がライトで天に祈りを捧げていました。

 

彼の名は網谷圭将。高校卒業後、DeNAに育成ドラフト1位で指名されるも、支配下に上がれず3年で戦力外通告を受けるも野球の道が諦めきれず社会人野球でプレーを続けてきました。

 

そしてこの日、ヤマハは彼を主軸に最高の舞台でライバルへのリベンジに臨みます。プロで一度も一軍の舞台に立てなかった男が社会人野球の頂点まであと一歩のところまで上り詰めてきたのです。

並々ならぬ思いで東京ドームのグラウンドを踏みしめているのでしょう。

 

 

対するトヨタの先発は嘉陽宗一郎選手。

 

松山聖稜高校から名門亜細亜大学へと進学、高い完成度を誇り、名門トヨタのエースとして君臨。

しかし、彼もまた高校時代に秋の県大会で甲子園のスターと大フィーバーを起こした済美高校の安樂智大投手(現楽天)と延長14回の末、敗戦。高校時代は甲子園への出場がなく、大学、社会人時代にもドラフト漏れを経験しプロを諦めるなど苦い過去があります。

 

先述したヤマハとの第1代表決定戦では6回1失点と好投していました。

 

 

ゲームは初回から動きます。

 

トヨタは1死1塁でバッターは3番を打つ北村祥治選手。

 

振りぬいた打球はレフトスタンドへ。先制のツーランホームランとなり、トヨタの応援席は大いに沸きあがります。

 

しかし、楽器メーカーならではの豪華なブラスバンドの応援を受けたヤマハもすぐさま反撃に出ます。

 

2回の裏、4番に座る網谷選手のヒットから1死満塁のチャンス。しかし、ここは併殺打に終わりヤマハは絶好機を逃してしまいます。

 

これで一気に流れに乗ったのはトヨタ。

 

3回にも犠牲フライで1点を追加すると、嘉陽投手の安定した投球で流れを渡しません。

 

5回には内野ゴロの間に走者が生還し4点差。

 

なんとか足がかりが欲しいヤマハは5回に6番大本選手のソロホームランが飛び出すも後続が続きません。

 

勢いに乗った嘉陽投手は7回を1失点の好投。

 

140キロ代中盤の快速球と安定したコントロール、エースにふさわしい投球で強力ヤマハ打線をソロホームラン1本に封じ込めマウンドを降ります。

 

そしてゲームは4対1でトヨタリードのまま9回の裏

 

負けられないヤマハは先頭秋利選手のホームランで2点差につめよるも、後続が倒れ2アウト。

 

後がない状態で打席に立ったのは4番網谷選手でした。

 

ひっかけた打球はぼてぼてのサードゴロ、決死のヘッドスライディングも間に合わずゲームセット。

 

マウンドに駆け寄るトヨタの選手たちとしばらくベース上に倒れ込む網谷選手の姿が対照的な姿でありました。

 

 

MVPにあたる橋戸賞は嘉陽選手が受賞。

 

初戦と準々決勝でともに1失点完投、決勝でも7回1失点の大活躍でした。

 

負けたヤマハの選手は悔し涙。

 

勝ったトヨタの選手の目にもうれし涙。

 

 

子どもの頃はみんな甲子園やプロを目指す。

そこから諦めたり、違う道に進んだりしてグラウンドに立つ人数は減っていく。地元で天才と言われても自分よりうまい奴がいる事に気が付いてユニフォームを脱ぐものも少なくない。

 

甲子園に出られなかった。ドラフトにかからなかった。一軍の打席に立てなかった。

 

だけど、何度挫折しても野球への憧れをやめられなかった男たちがいた。

 

諦めの悪い大人たちが全力で走り、全力で声援を送る。

 

東京ドームに熱狂と勇気を残して2週間の闘いは幕を下ろしました。大人の全力に敬意を表して文章を締めたいと思います。

 

 

それではまたいつか。